西国33ヶ所観音霊場の番外札所。
花山院は、むかし花山法皇が巡錫された寺々をまわりながら、参拝者が巡礼納札するところから札所めぐりとも呼ばれている。
第65代花山天皇は、即位後2年(寛和二年(986年)・19才)で法皇となって京を離れた。この地に
隠棲生活をされたと聞いた京の女官達は、妃(弘徽殿女御)の遺骨を抱き、法皇の許へと慕って来たが、女人
禁制の山に入れず、麓に庵を結び、尼となり中腹で琴を弾いて過ごした。
山門までつづれおりの坂道を町石をたよりに登って行くと中腹に「琴弾き坂」の石碑がある。
妃と11人の尼僧のお墓のあるこの地域を尼寺(にんじ)と呼ぶ。
法皇は「有馬富士 ふもとの霧は海に似て、波かと聞けば小野の松風」
と御詠歌を残され、この辺りの盆踊り唄には
「年ふり苔はむしたれど、十二妃を葬りし山の麓の墓どころ赤き心を伝えしか、赤い椿の花が咲く」
と歌い継がれている。
境内の法皇殿前の一段高い玉垣の中に御廊所があり、数多くの巡礼者が訪れている。
所在地・・・三田市尼寺352
花山寺に伝わる話・・・花山天皇が19歳で皇位を去り、仏門入りし法皇になられた。
その後、33ヶ所の霊場をまわり三田の紫雲山に陰遁されたので、この寺を花山院と
呼ぶようになりました。京の女官11人は法皇を慕って花山院を訪ねたが、女人禁制の
ために、尼となってふもとに住みました。尼達は、山道を上りこれ以上立ち入れない
ところで琴を弾き法皇を慰めた。それでこの参道を「琴弾坂」と言うようになりました。
この地を「尼寺(にんじ)」といつしか呼ぶようになったのも彼女らの献身故でしょう。