沙沙貴
神社
(ささき じんじゃ)
1、佐々木氏の氏神
滋賀県蒲生郡安土町常楽寺に鎮座する沙沙貴(ささき)神社は、その社号および由緒から、全国およそ300万人といわれる「佐々木さん」の総鎮守的な役割を果たしています。
佐々木神社の御祭神は、主神を少彦名神(すくなひこなのかみ)とし、ほかに併せて、仁徳天皇・大毘古神(おおひこのかみ)・宇多天皇・敦実親王(あつみのみこ)を祀っています。では、これらの祭神と佐々木氏の関係は何なのでしょうか? 気になるところなので、ひとつずつ簡単に説明していくことにしましょう。

(上)沙沙貴神社社殿。
まず、当神社の起こりは、神代に少彦名神が当地に降臨し、それを祀ったことから端を発すると言われています。少彦名神とは、列島土着とされる国津神の1神で、国津神の総領である大国主神と共に国土経営を行った重要な神です。よって当初は、佐々木氏との関係はなかったのですが、少彦名神(すくなひこなのかみ)の「すくなひこ」から「ささき」という風に言葉が転化したとも伝えられています。したがって「佐々木」の源は少彦名神にちなむのだといいます。
時代が下り、古墳時代に沙沙貴山君(狭狭城山之公)という陵戸(みささぎのへ。大王家の御陵を守護する役目を司った部。古代の職業部の1つ)がこの地に居住し、この神社に自らの部の祖神である大毘古神を祀ったことから、現在、大毘古神が祀られているのだといいます。
また、仁徳天皇が祀られている理由は、仁徳天皇の幼名「大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)」にちなむといいます。古代ヤマト王権において、天皇の死後、その天皇の業績を語り継ぐ部民として「名代(なしろ)」が置かれたのですが、仁徳天皇の功業を語り継ぐ名代は、その幼名に基づいて「雀部(ささきべ)」と称していました。その一派が当地にやってきて、そこからこの神社に仁徳天皇を奉祭するようになったのだとされています。
これが歴史時代以前の沙沙貴神社のかたちで、これをもって全国の佐々木氏の総鎮守として沙沙貴神社があるとみなされているのです。これは有史前の伝承なので、その実態は明らかになっておりませんが、927年に完成した『延喜式神名帳』には沙沙貴神社の存在が記載されているので、この当時すでに、沙沙貴山君や雀部の末裔にあたる集団がこの神社を祀っていたことがわかります。
ただし、現在の沙沙貴神社の祭祀方式が成立した背景には、中世に成立した佐々木源氏(近江源氏)の保護・崇敬によるところが大きいと言えます。有史前の佐々木氏の由来は伝承の世界なので、現在の佐々木氏の直接的系譜といえば、この佐々木源氏に行き着くわけです。
佐々木源氏とは、宇多天皇(51代。867〜931)の皇子・敦実親王(あつみのみこ)を始祖とする、宇多源氏の一派です。近江のこの安土周辺に根を張ったため、近江源氏とも言われるようになりました。
近江源氏もとい佐々木源氏は、後に室町時代になると守護大名佐々木氏に発展し、さらに戦国時代にはそこから分派した六角氏が、沙沙貴神社北にそびえる観音寺城を中心に勢力を築き、南近江の覇を築きました。佐々木氏の嫡流である六角氏は、1568年に織田信長の上洛に伴って観音寺城を攻められ落城、表舞台から六角氏、および佐々木源氏の歴史は途絶えることとなりました。
さて、こういったことから、中世の佐々木源氏が沙沙貴神社を「佐々木の氏神」として大変厚く保護したので、沙沙貴神社の祭神に宇多天皇・敦実親王が合祀されることと相成ったわけであります。
色々と複雑な変遷をたどってきましたが、佐々木の担い手を簡単にまとめると、こんな感じでしょうか。
@少彦名神を奉祭する最も原初的なササキ部(ほぼ伝説上)。
A陵戸である沙沙貴山君一族(古墳時代)。
B仁徳天皇を奉祭する名代である雀部(古墳時代)。
C宇多源氏の流れを引く佐々木源氏(近江源氏。平安時代)。
もしかしたら、AとBはほぼ同一の部民かもしれません。元々Aの陵戸だった沙沙貴山君が、仁徳天皇を奉祭する雀部の機能も併せ持ったのかもしれませんし、その逆もまた然りです(雀部→沙沙貴山君)。いずれにしろ、沙沙貴神社は遥か古くの時代から現在に至るまで「佐々木」の名を通じて多くの人々に信仰されつづけてきた場所だったということが窺い知れうるのです。
2、聖石群紹介
この沙沙貴神社を当HPで取り上げている理由は、もちろんこの神社に聖石が残っているということにあります。一体どのようなものがあるのか、ひとまず列挙してみますと、
@少彦名神の磐境
A陰陽石(男石・女石)
B御祓所
という風に、なかなか聖石が豊富に残っています。沙沙貴神社と聖石の存在との関係は、どういった理由から来ているのでしょうか?
思うに、それは少彦名神が通称「石の神」として、古代から信仰されやすかったことにちなんでいるのだと解されます。『古事記』『日本書紀』の神功皇后条に載せられている古代歌謡の中には「神酒の司 常世に坐す 石立たす 少名御神の(酒の神として、少彦名神を石立てて祀る)」といった言葉があり、それを指し示すがごとく、少彦名神が祀られている神社の中には、岩石信仰・岩石祭祀を伝えている所が少なくありません(奈良県大神神社・広島県甘南備神社・岐阜県南宮大社・石川県大穴持像石神社など)。
少彦名神は地上界に根ざす国津神であるため、その性格上、自然物たる岩石に宿るのが自然の理であると古代人にみなされたのではないでしょうか(何で敢えて石なのかは分かりませんが)。
実際に当社でも、社殿の南に隣接して「少彦名神の聖跡」と称して、高さ約3mはあろうかと思われる立石が祀られています。おそらくこれこそが、神代に少彦名神が降臨した場所と目され、沙沙貴神社祭祀の原点として位置付けられようと推測されます。
社伝ではこれを「磐境(いわさか)」と称していますが、本来、磐境というのは「多数の岩石をもって、中心石を方形や円形などに囲んだりする、配石祭祀場」のことを指す場合が多いです。しかし、この立石は基本的に単独岩石物であり、その底部には明らかに最近に整備された台座部分があるのみです。立石の周りに、原初からあるような方形配石施設・環状配石施設は見当たらないのです。したがって、これを本来の意味としての磐境と考えるよりかは、「神が降臨する座所」として磐境(磐座)と名付けられたんだ、と解釈したほうが自然な流れです。
もちろん、この「磐境」こそが、沙沙貴神社における最も本源的な信仰の核心であることは疑を容れません。

(上)「少彦名神の磐境」全景写真。拝殿南隣。

(上)「少彦名神の磐境」近景。立石の形状からなのか、匂玉を模した石が手前に安置されています。
沙沙貴神社の社殿は、楼門と塀で区画された内部に設けられていますが、その楼門の外を出てすぐ南のところに、2体の小振りな聖石がひそやかに残っています。これは「陰陽石」と呼ばれ、男石と女石(それぞれ高さ1m以下)から構成されています。当HPをよくご存知の方ならば言うまでもないことでしょうが(笑)、これらの岩石は男女の生殖器に仮託して信仰されており、その信仰理由は安産や男女和合など、性信仰特有の願いと霊力が込められているものです。全国各地、このような陰陽石信仰の実例は普遍的に見られます。
案内板によると「目をつぶりながら、片方の石からもう片方の石までたどり着くことができたら、男女の出会いや縁結びに効果がある」といいます。こういった祭祀のあり方も、どこかで聞いたような気が・・・(京都府地主神社)。陰陽石には、純粋に恋愛や男女関係の霊験のみを秘めているものから、その「生殖器=繁殖機能」という性格から、五穀豊穣や子孫繁栄・商売繁盛といった、もっと広い霊験を持っているものもありますが、当社の「陰陽石」は、これを聞く限り、男女関係の霊験をつかさどる純粋なほうだということがうかがえますね。
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あと、境内に「御祓所(おはらいしょ)」という施設があります。その名の通り、身の穢れを取り払い清めるための神聖な場所なのですが、これの構造がまさに磐境なのです。「御祓所」自体は現代の作で、頻繁に整備されているようですが、その構造自体は、原初的岩石祭祀場である磐境の構造を、ほぼ忠実に再現しているのではないかと思われます。
まず、平坦な石をもって方形に区画することで、聖域と俗域を分けます(磐境における境域ですね)。そして、方形区画内には玉砂利を敷き詰め、そこが人間の身を清める場所となります。そして、方形区画の中の最奥部に1体の大きめの岩石が置かれ、これこそが「身を清めさせる神の台座」であり、磐境における中心石の役割を果たしているのです。

このように、磐境の形を踏襲した「御祓所」は、全国各地の比較的大きな神社には広範に見られるものであり、現代でも機能している岩石祭祀場の遺風として注目できますが、沙沙貴神社の「御祓所」は、岩石による方形区画だけにとどまらず、その中に中心石を置く点において、他の例よりもいっそう忠実に、岩石祭祀の特徴を継承していると思います。やはり、この神社が古くからの聖石信仰を今に伝えているからでしょう。

(上)「御祓所」。方形区画の奥に中心石が安置されています。
3、聖石分類表
| 聖石の名称 | 沙沙貴神社聖石群 |
| 所在地 | 滋賀県蒲生郡安土町常楽寺 |
| 聖石分類 | 「少彦名神の磐境」・・・神道的磐座(磐境) 「陰陽石」・・・神道的石神(やや民俗学的霊石型聖石の色あり) 「御祓所」・・・聖石関係岩石 |
| 聖石の立地 | 神社境内(平野部) |
| 聖石の個数 | 「少彦名神の磐境」・・・原則1体 「陰陽石」・・・2体 「御祓所」・・・多数 |
| 聖石の形状・規模 | 「少彦名神の磐境」・・・高さ3mに及ぶ匂玉形の立石。 「陰陽石」・・・「男石」「女石」から構成される。 「御祓所」・・・石をもって方形に区画された中に、中心石が置かれているという磐境形式。 |
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聖石に宿るもの |
「少彦名神の磐境」・・・少彦名神が降臨した依代 「陰陽石」・・・石神あるいは霊力のみ 「御祓所」・・・身を清める施設として存在するが、中心石には神霊が宿るものと思われる。 |
| 中心的役割を担う聖石 | 「少彦名神の磐境」 |
| 文献学的情報 | 原初、少彦名神が「石の神」として当地の磐境に降臨したという。 |
| 考古学的情報 | 神社境内に隣接して古墳時代の集落遺跡が存在する。 |
| 民俗学的情報 | 「陰陽石」・・・男なら「男石→女石」、女なら「女石→男石」へ、目を閉じながらたどり着くことができたら、男女関係において成功ありとする。 |
| 聖石の信仰環境 | 延喜式内社の境内にあり、古来から、佐々木姓を持つ人々によって厚く信仰され続けてきた。 |
| 信仰の発生要因 | 「岩石=意思を持ち活動するもの、呪力を持つもの」という自然物信仰から生まれた「石の神」信仰が、少彦名神信仰へ発展したという、理念的原因による信仰発生と考えられる。 |
| 聖石の信仰推定時期 | 古墳時代の間か。 |
| 現在の聖石の状況 | 丁寧に保存・保護されており、人々の信仰もあつい。 |
| 参考文献 |
川嵜洋一1997「少名毘古那神」(薗田稔・茂木栄『日本の神々の辞典』学習研究社)、 |
| 備考 | 祀られている神々と岩石信仰との関連性を討議する上で、当社は貴重な実例となりうるだろう。 |
(2002年5月6日探訪)
(2002年5月30日作成)
(2002年6月1日更新)