元伊勢三社・日室ヶ嶽
ー外宮・内宮・天岩戸神社 編(前編)ー


《前編 目次》

1、概要

2、元伊勢外宮 豊受大神社

3、元伊勢内宮 皇大神社

4、天岩戸神社

→後編「日室ヶ嶽 編」へ


1、概要

 京都府加佐郡大江町、大江山の南麓に「元伊勢」と呼ばれる神社があります。ここには三重県の伊勢神宮と同じように、天照大神を祭る内宮があり、また、豊受大神を祭る外宮があります。天岩戸神話を持つ、天岩戸神社と名付けられた神社も(以下、元伊勢三社と総称)。

 天照大神は元々天皇のいる宮廷に祭られていましたが、大神のパワーがあまりにも強大なため、第10代崇神天皇の代になってより良い鎮座地を求めたというのが元伊勢伝説です。近畿地方から東海地方にかけて20数ヶ所も鎮座地を変えた後、伊勢が気に入って最終鎮座地としました。この、伊勢にとどまるまでに何度も遷座を重ねた20数ヶ所の旧跡を「元伊勢」といいます。
 大江の元伊勢は、天照大神が宮廷を出て2度目に遷座してきた場所「吉佐宮(よさのみや)」に当たるといわれています。社伝によれば、天照大神がこの地を離れた後も近在の人々はここを伊勢神宮の元宮として神聖視し続け「大神宮さん」などと親しみをこめて守り続けてきたといいます。

 しかし、吉佐宮に比定されているのはここだけではなく、特に丹後・宮津市の籠(この)神社こそが吉佐宮であるとする見方が強く根付いています。
 一方、この大江元伊勢に関しては地元の古文献などに、麻呂子親王(用明天皇の皇子で聖徳太子の異母弟)が大江山の鬼退治にやって来た時、戦勝祈願のためにこの地に伊勢神宮の神々を祭る内宮・外宮を勧請したという伝説が残っていることから、大江元伊勢の発祥は「天照大神の元伊勢伝説」と違うところから発祥したという説もあります(大江町誌編纂委員会1983)。
 また、『延喜式神名帳』によればこの辺りに不甲神社という延喜式内社があったそうで、それを元伊勢内宮に当てる不甲神社説もあるそうです(村上1994)。

 つまり整理すると、今のところ大江元伊勢には以下のような解釈があるようです。

(1)純粋に「天照大神が一時的に鎮座した元伊勢・吉佐宮」(崇神天皇期)比定説
(2)元伊勢=ヤマト王権の勢力拡大に伴う説話と捉え、崇神天皇期に大江山の土蜘蛛討伐に向かった日子坐王伝説に絡む元伊勢であるとする説
(3)麻呂子親王勧請説(用明天皇期)
(4)不甲神社比定説
(5)その他(自然物信仰から発生した地元の産土神説、比較的新しい中近世に作られた「元伊勢」説など)

 現在でも諸説ある状態で、どれが元伊勢三社を形成する原因になっていたのかは分かりません。
 私にも判断は付かないので分からないものはそのままとしておきますが、ただいずれにしても言えるのは、元伊勢内宮や天岩戸神社成立に際しては、神体山として神聖視されている日室ヶ嶽(詳しくは後編で説明します)の存在や、その麓に流れる宮川(五十鈴川)、それに付随する奇岩怪石の渓谷といった、シンプルな自然物信仰の存在と切っても切れない関係にあっただろうということです。
 今回の探訪報告はそうした、元伊勢三社がこの場所に選定されるに至った基層だと考えられる、山・水・木・岩などの自然物信仰の痕跡を主に取り上げていこうと思います。


2、元伊勢外宮 豊受大神社

 京阪神から元伊勢三社に行く場合、もし公共交通機関を使うならば、JR山陰本線福知山駅から、北近畿タンゴ鉄道(KTR)に乗り換えます。福知山駅(京都府福知山市)からだと、終点は宮津駅(京都府宮津市)までになります。このKTR宮福線の沿線上に元伊勢三社があるわけで、終点の宮津駅からは籠神社にも行けますし、鬼の棲む霊峰・大江山の登山口にもたどり着けます。
 KTR大江高校駅か二俣駅で降りると、そこから約1.5kmの地点に元伊勢外宮の豊受大神社が鎮座しています。

 元伊勢外宮は、舟岡山という独立小丘の上に鎮座しています。この舟岡山、その外見から一説では巨大な前方後円墳ではないかという俗説もあるほどで、もしそれが本当なら全長200mにも及ぶ巨大な前方後円墳となり、丹後・丹波でも屈指の前方後円墳となってしまいます。むろん、形状的にそういう指摘が提起されているだけで、正式に古墳であるという根拠は今のところありません。
 ただ、外宮付近には大明神塚古墳・荒神塚古墳など小古墳が散在しており、これを大古墳の陪塚と考えたら面白くはあります。ちなみに外宮周辺からは弥生末期から古墳初期にかけての土器片や、古墳後期頃の土師器壺・須恵器片が散布しており(大江町教育委員会1975・1999)、古墳時代辺りの人々の生活跡が残っています。

 舟岡山を前方後円墳状とした場合、外宮周辺は大体以下の地図で図化することができます。外宮の社殿が建てられているのは、いわゆる前方部のほうではなく、後円部のほうです。


図1:舟岡山周辺地図


写真1:竜燈杉と外宮正殿

 外宮の見所は、まず何と言っても正殿でしょう。かなり忠実に伊勢神宮の神明造に倣っています。屋根の苔のむし具合がまたなんとも神聖性を高めています。

 そして、元伊勢外宮・内宮共通して貴重な資料として挙げられるのが、黒木鳥居の存在です。黒木鳥居とは、木の皮をはがずに皮が付いたまま鳥居にしている形態のことです。言ってしまえば最も木材を加工しないまま作られた鳥居ということで、工法としては原初的な形態に属す鳥居なのではないかと位置付けられています。
 黒木鳥居を持つのは、元伊勢外宮・内宮以外では京都市の野宮神社だけだそうで、極めて珍しい鳥居と言えます。

 ほか、「竜燈杉」という霊木もあります。外宮境内が古くから霊域として大切にされてきたらしきことは、境内にそびえ立っている多くの巨木群が物語っていますが、本殿裏にある「龍燈杉」は、樹齢1500年を越すものと推定されています。
 掲げられていた説明板によると、節分の晴れた夜、この杉の頂上に燈明を思わせる明かりが見えるのだといい、これを見た人はその年が幸福に包まれるといわれています。この明かりは、この地に宿る龍神が天照大神に献じた御燈明だとされています。
 これと同じようないわれを持った竜燈杉は内宮境内にもあり、天岩戸神社由緒書によると内宮・天岩戸神社の神体山である日室ヶ嶽山頂にも龍頭松(伝承内容は竜燈杉とほぼ同じ)があるといいます。『大江町誌』(1983)によれば、当地の元伊勢はこの竜燈杉伝承がよく付随しているのが特徴だといいます。


3、元伊勢内宮 皇大神社

 外宮から北へ道なりに数km歩くか、KTRの大江山口内宮駅を降りて少し西に歩くかすると、元伊勢内宮皇大神社が見えてきます。宮山という低山に鎮座しており、その背後には神体山の日室ヶ嶽の目立つ山容が望めます。表参道は約200段の石段からなっており、これを越えると元伊勢内宮の社殿群に到達します。


図2:内宮周辺地図

 表参道で幾つか興味深い霊跡があるので、紹介しておきます。

 まず、見た目のインパクトが凄い霊木「癌封じの膿木」が最初に目に入ります。
 高さ何mともつかない巨木で、根っこ付近の幹が大きく膿のように膨らんでいます。筆舌し難い生々しさを感じる特異な樹木でして、悪性の癌を治癒する霊力を持つといいます。自然の樹木が創りだしたこの奇観は、人々に超自然的な力を想起させるに十分な迫力といえるでしょう。

 参道をしばらく登ると、右手の方に「真名井の池」が見えてきます。山から湧き出る清水そのものであり、神水として神聖視されているのでしょう。水は流れ出るというより、滲み出るという感じだったので、あいにく飲むことはできませんでしたが、やはり山水なだけはあり、探訪時30度を越す気温の中でもヒンヤリと冷たかったです。

 表参道にある古木として、麻呂子親王が奉献したと伝えられる「麻呂子の杉」があります。伝えによれば、麻呂子親王が鬼賊討伐のためこの地へやってきた時、平定祈願のため3本の杉を自らの手で植えたのだといいます。
 よって昔は3本あったのですが、そのうちの2本は落雷などで枯死し、現在は1本のみが遺風をとどめている状況です。


写真2:癌封じの膿木

 こうして表参道を登りきり社殿のある神域へ入るわけですが、その少し手前に境内社の御門(みかど)神社が鎮座しています。祭神は天岩戸で天照大神を護っていた豊岩窓神(トヨイワマドノカミ)・奇岩窓神(クシイワマドノカミ)で、そこから、様々な邪気を斥ける厄除けの神としての神格を帯びることになったといいます。
 社殿は「天地根元造」という特異な建築様式で、基本的な構造は神明造なのですが、なんと竹の幹を柱に用いて作っています。これは非常に珍しく、ここ1社だけなんじゃないかと思います。

 この境内社の社域には2つの岩石祭祀事例が見られます。
 1つは「カネの鳴る石」と呼ばれる奇石で、この石を小石で叩くと金属音がするというもので、これが高じて、金銭にまつわる御利益のある聖石と見なされるようになりました。石自体に霊験が宿っているとみなされ、それが崇敬の対象になっていることから、信仰対象型の類型要素を持つことは確かです。
 また、小石で石を叩くという祈願行為をするための祭祀装置の機能も兼ねているので、祈願媒体の要素も混在しているようです。


写真3:カネの鳴る石

 もう1つですが、これは御門神社で節分の日に行なわれる祭り「かわらけ割り神事」にちなむ岩石祭祀場です。
 古墳の石室を思わせる石組の室の中に、かわらけ(素焼きの土器)を入れて破砕することで、祭神に自らの厄を祓ってもらうという神事です。この時のかわらけは、自分の厄を憑りうつらせた一種の形代(しかも人形的なもの)とみなすことができます。
 かわらけを入れる岩室自体は、祭祀空間の中でもかわらけという祭祀具を配置する、祭祀場の中でも特に特別な空間を表示する施設(磐境の中の磐境という感じか)であり、岩室の前を取り囲むように群集している岩石群は、祭祀場とそうでない通常空間を区画する施設(いわゆる通常の磐境のイメージ)の役割を担っていると言えるでしょう。


写真4:かわらけ割り神事の岩室

 さて、正殿がある社域の紹介に入ります。
 まず外宮にもあったものとして、黒木鳥居竜燈杉がここにもあります。
 内宮の竜燈杉は樹齢2000年を越えると推定されるもので、外宮のものと同じ伝承を有していますが、戦後に火災によって燃えてしまい、枯死寸前の状況になりました。なので、その命を絶やさぬために、現在はその「龍燈の杉」の生きている部分を切り取り、境内の別のところに新たに植えていて、若木として成長しています。


写真5:元伊勢内宮社殿と黒木鳥居

 天照大神を祀る正殿は、拝殿と本殿から成り立っています。本殿の建築様式は、天照大神を奉祭する神社なので当然のごとく神明造です。他の神明造と違って特徴的なのは、本殿の背面に扉があり、扉を開けるとまるで社殿から裏山を遥拝する形式になるという点です。
 実際に扉を開けて裏山を遥拝する儀礼行為はないみたいですが、このような事例は滋賀県野洲町の御上神社本殿でも見られます。御上神社の場合は、神体山の三上山を遥拝するための施設として設けられたことが分かっています。


写真6:内宮本殿裏に付く扉

 また三重県の伊勢神宮と違って、元伊勢内宮・外宮の本殿は玉垣で囲われておらず、正殿をじかに見ることができるというオイシイ点もあります。

 正殿の左右には2社の脇宮が鎮まっています。西側は養蚕事業の功がある生産神・栲機千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)を祀る社であり、東側は天岩戸を力ずくで開き、天照大神を引き戻した武神・天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト)を祀っています。
 神主さんの話によると、脇宮はそれぞれ、西殿が「文化の神」を象徴し、東殿が「武の神」を象徴しているのだといいます。その中心に建つ正殿は最高神・天照大神ということなので、文武を兼ね揃えた神徳があるということでしょうか。

 このような正殿を中心に据えた神域ですが、改めて神域の全てを見渡してみると、境内の周りに数え切れないほどの小さな祠が、この正殿と脇宮を取り囲むように鎮まっていることが分かります。
 実はこの小祠、全部でおよそ80社あるといい、全国各地の一宮の神々が祀られているのだといいます。理論上その霊験を考えると、全国の一宮に囲まれた神域にたたずむのはなかなか凄いことです。
 神主さんの話によりますと、京都市立芸術大学名誉教授の梅原猛氏がこの元伊勢三社に参った時、大略「神とかそういった精神的なものを信じない人でも、ここに来れば、聖なることとはどんなものなのか、自ずと感じることができるのではないか」という主旨の感想をもらしたといいます。主観的感想ですがこの神社、正直ちょっと美しいと思ってしまったので、納得です。

 

 さて、竜燈杉の裏手に陰石と目される聖石が鎮座しています。
 岩石の形状は上部が窪んでいて、縦に真っ二つになりそうな感じでもあるので、陰石の類かと推測されます。この聖石の名称は不明で、どんな由来を持つものなのか分からないので推測の域は出ません。
 が、天照大神や栲機千々姫命が宿る社殿の近くにあるので、女神との関連性があるのかもしれません。いずれにしても、岩石の形状が信仰的性格を表していると考えられるので、信仰対象型(石神)の性格を持つ可能性が最も高いと思われます。

 陰石の手前には、小ぶりの苔むした石と平たい石が置かれています。推測するに、司祭者は平石の上に座した上で、苔むした小ぶりの石の上に祭祀具や供献物などを安置するのではないでしょうか。
 これらの岩石の周りを方形区画の列石が囲み、壇状施設をなしています。この方形区画の列石が聖俗を分かつ磐境の役割をしていることは間違いないと言えます。
 このように、小さな空間に佇む聖石ではありますが、1つ1つの岩石に異なる役割が付加された豊富な岩石祭祀構造をした好例であると、私は高く評価したいと思います。


写真7:陰石状の聖石。裏側の方がよりリアルな形状。

 ちなみにこれは内宮境域外ですが、内宮の南東の宮川沿いに「内宮の港石」と呼ばれる聖石が安置されています。高さ1.5m程度の立石状の岩石です。
 いわれによれば、豊受大神社の鎮まる舟岡山が宮川の流れによって流れていってしまわないよう繋ぎ止めておく、舟つなぎ石なのだそうです。比較的珍しい伝承内容ですが、伝承に沿うならば、船岡山の地霊がずっとその場所にとどまれるよう、安らかに鎮める役割を持った鎮魂媒体でしょうか。
 一方、現地の開設板には、この港石は昔の川の流れに沿って存在することから、川水を守る水戸神の磐座だったのではないかと記しています。いずれの解釈にしても推測の域を出ないので、どちらとも判断の付かない状況です。

 ちなみに、外宮近くにも「二俣の港石」と呼ばれるものがあり、同様の内容を持っています。どうやら内宮と二俣のものでセット関係だったようですが、こちらの方はまだ実見していません。


 写真8:内宮の港石


4、天岩戸神社

 元伊勢内宮から日室ヶ嶽遥拝所経由の参道をくだっていくと、宮川沿いの車道に出ます。ここまでくれば、天岩戸神社はすぐそこです。今でこそ車道がありますが、昭和25年までは車道が開削されておらず、この参道だけが唯一の参拝路だったようです。

 天岩戸神社は、宮川の河岸に建つ神社であり、宮川、および川の流れが作り出した岩場が社域となっています。まさに自然の景観が祀り場そのものとなっているワイルドな神社です。川に接しているので、社殿に至るまでの道(というか川縁)は水しぶきで湿っており、滑りやすくなっているので若干注意が必要です。

 天岩戸神社は、日室ヶ嶽の山裾ぎりぎりの所に位置しています。日室ヶ嶽と天岩戸神社を境界付けるのは、宮川という自然が作り出す境界線です。この立地的な観点から見て、天岩戸神社は日室ヶ嶽と密接な関係にあることが推測されます。
 それは、天岩戸神社の本殿裏に巨岩・御座石(ございし・みくらいし)があることからも明らかです。御座石は、降臨した神が座する聖石だと語り継がれており、典型的な磐座機能を伝えています。おそらく降臨してきたのは、天岩戸神社の遥か上方にそびえる日室ヶ嶽山頂からでしょう。つまり、日室ヶ嶽が山宮で、天岩戸神社の御座石が里宮だという対応関係がここに垣間見られます。
 日室ヶ嶽は神の山なので、原則的に神のテリトリーに入ることは禁止されます(東斜面は今も禁足地)。よって、基本的に祭りを行なう際は山麓に祭祀場を設け、そこに山頂に宿る神を降臨させてお迎えするという方式をとっていました。ここの場合はその迎え場が御座石に当たります。どうしても切実かつ緊急な祈願事が希求された場合は、特例的に神山に登り、山頂で直接祭祀を行なったかもしれません。


写真9:天岩戸神社 社殿


写真10:御座石と宮川

 御座石以外にも、興味深い岩石祭祀事例が色々と境内に残っています。
 まず、宮川の川底にある岩盤が隆起しており、その岩盤上部に多数の窪みができています。これは川の浸食作用によってできる「甌穴(おうけつ)」と呼ばれる現象ですが、これが神々の湯浴みした霊跡「産盥(うぶだらい)」として神聖視されています。
 川中ということもあり、甌穴の中には絶えず水が溜まっており、いつも一定量の水が溜まって、増減することはないといわれています。これは神々が水浴びしていた霊水ということで、日照り・旱魃の時に甌穴の水をすくって水面に注げば、必ず雨が降ってくれるという雨乞いの言い伝えがあります。一方で、この水を濁すと川が激しく荒れるそうで、荒ぶる川神の性質も有しています。
 産盥は、神々の湯浴みという聖跡を伝える聖跡型であり、なおかつその水が霊水として信仰されていることから、単なる聖跡から発展して新たな信仰対象(水神・川神系)となったタイプに含めることができます。


写真11:産盥(真上からの撮影)

 他にも、御座石から岩戸渓谷を隔てた下流には「神楽岩」という、神楽祭祀(音楽・舞踊)を行なったという聖石があるのだそうですが、残念ながら、その神楽岩に該当する巨岩がどれなのか、私には検討がつきませんでした。バラエティに富んだ岩々が川の流れに沿ってそびえたっているので、おそらくその内のどれかが神楽岩なのでしょう。
 ちなみに天岩戸神社の社殿自体も、川に侵食されて露出した荒々しい岩盤の上に建てられています。参拝するにはこの岩盤を少し登らないといけません。登るための鎖が付いているので大丈夫ですが、岩が水しぶきで濡れており滑りやすいので、注意しましょう。

 このように、天岩戸神社は岩(聖石群)・水(宮川)・山(日室ヶ嶽)という3つの信仰要素で成り立っている自然物信仰の祀り場です。
 元伊勢三社の中では奥宮的な位置付けをされていますが、大江元伊勢信仰の基層は「元伊勢」とは別にして、意外とこういう自然物信仰にあるのではないでしょうか。


《参考文献》

大江町誌編纂委員会(編) 1983 『大江町誌』通史編 上巻 大江町
村上政市 1994 『神と鬼の棲む山−元伊勢と大江山−』 日本の鬼の交流博物館
大江町教育委員会(編・発行) 1999 『大江町遺跡地図』(大江町文化財調査報告書 第7集)
大江町教育委員会(編) 1975 『京都府加佐郡大江町 高川原遺跡発掘調査報告書』(大江町文化財調査報告第1集)
日本の鬼の交流博物館(編) 1996 『鬼力話伝45』 大江町役場
日本の鬼の交流博物館 解説シート
元伊勢内宮 皇大神社(由緒書)
天岩戸神社由緒(由緒書)
現地解説板


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(2002年7月21日・2003年3月23-24日探訪)
(2004年10月30日作成)